山崎哲_ひと・こころ・からだ
チョン・ウォルソン(田月仙)プロデュース公演を観た
10月25日、
HAKUJU HALL(白寿ホール・渋谷)で行われた
チョン・ウォルソン(田月仙)プロデュース公演
「日韓露歌曲集/オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』より」を観た。
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チョン・ウォルソン(田月仙)さん。撮影・菊地健志さん。
DVD「海峡を越えた歌姫 田月仙(チョン・ウォルソン)」より
二部構成である。
<第一部> 日韓露歌曲集
チョン・ウォルソンさんと、ヴィタリ・ユシュマノフさんによる歌曲。
オープニング曲を入れて全10曲。
韓国映画に嵌りはじめた頃、
あるひとからチョン・ウォルソンさんのことを聞かされた。
すぐにCDを入手し、深夜の稽古場でひとりよく聴いたものだ。
そのチョン・ウォルソンさんの歌を生で聴けるなんて
自分でもにわかには信じられないことだった。
椅子に身を沈め、ただ聴いた。静かに。
美しく、チカラ強く、そして希求に満ちたウォルソンさんの声を。
その歌声を。
そのひとつ。大好きな「鳳仙花」。
三・一独立運動(1919年)の翌年に生まれた歌。
朝鮮民族の亡国の悲しみと解放独立への願いを歌ったもので、
やがて朝鮮全土へと拡がっていったと言われる。
李政美さんの「鳳仙花」もよく聴くのだが、
ウォルソンの歌声はさすがに途方もなく音(声)としての純度が高く、
胸に突き刺さるように入ってくる。
誰もいない深夜の静かな稽古場にはこの歌がよく似合っていた。
それにしてもと驚嘆する。
そう大きいからだだとも思えないのによくもあんな素晴らしい声が
でるものだと。
よほどからだの内側のチカラと心が強靭でないと、
ウォルソンさんのようなあの声は出ないのではないか。
「アリラン」。ウォルソンさんの独唱。
子供の頃から大好きだった歌である。
なにぶんにもまだ子供だったので隣国・朝鮮と日本との関係も
よく知らないし、わからなかった。
地図で見る韓国/北朝鮮しか知らなかった。
なのに自分で歌いながら、あるいはひとの歌を聴きながら、
なぜか遠い他国の山の峠にいつもひとり想いを馳せていたものだ。
この歌がそんなチカラをどことなく秘めていたからだろう。
韓国映画をたくさん観たおかげでいまは少しわかるような気も。
韓半島を縦断する山並こそ、つねに他国に侵略されつづけてきた
朝鮮にとっては「背骨」だったのだと。
朝鮮の人々が唯一逃れることのできるのは「山」だった。
山だけが朝鮮の人々を唯一守ってくれた。
各地で様々に「アリラン」が生まれ、謡われ、そして人々が
永遠の「アリラン」を目指したのもそのせいではなかったのだろうか、と。
エンディングは、ロシアのカレインスキー・高麗人によって作られたという
ロシア語の「アリラン」で、ウォルソンさんとヴィタリ・ユシュマノフさんが
一緒に歌われた。
ソプラノとテノールの二人の美しい声が合わさった瞬間、
胸が込み上げ、抑えるのに必死だった。
言葉にするとつまらなくなるが、
私たちは国家を生きているのではなく、人との繋がりを生きているのだと、
その声に、不意に、そして強く感じさせられたからだろう。
<第二部> オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)』より
イタリア・オペラの傑作。
シチリアのとある村が舞台で登場人物は二組の男女。
婚約している青年トゥリッドゥと、娘サントゥッツア。
若い夫婦の夫アルフィオと、妻ローラ。
ローラはトゥリッドゥの元恋人で、実はいまも二人は密会している。
そのことを知った婚約者のサントゥッツアは嫉妬に狂い、
ローラの夫アルフィオに二人の関係を密告する。
と彼は激怒し、青年トゥリッドゥに決闘を申し込む…、という
いかにも私の好きなアモーレの国・イタリアらしい物語である。
時間にしておよそ60分の抜粋劇。
キャスティング
娘サントゥッツア チョン・ウォルソン(ソプラノ)
青年トゥリッドゥ ヴィタリ・ユシュマノフ(バリトン)
夫アルフィオ ロベルト・ディ・カンディド(テノール)
妻ローラ 大田のりこ(ソプラノ)
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(「ChonWolson-com」より拝借)
舞台は「素」。
下手にピアノが一台。
歌手=俳優が四人。
あとは何もない。
舞台にとって必要最小限度のものがあるだけである。
にもかかわず劇は成る。
作れる。それも素晴らしい劇が。
この舞台はそのことを見事に証明してみせる稀有な舞台だった。
作家は原稿用紙のマスに言葉を書くことによって、
いまそこに物語を作っていく。
と同じように演劇は、俳優たちが言葉を交わすことによって
いまそこに刻々と物語を作っていくのである。
書いていくのである、みんなで、作家がそうしているように。
当然、そのステージ毎に。
舞台は「ライブ」と言われるのはそのせいだが、
しかし日本の舞台の大半はそうなっていない。
物語はいま目の間で刻々と書いて行かない限りどこにもないのだが、
脚本なんてものがあるものだから、すでに物語はある
と思っているのである。
そう信じ込んでいるから、
脚本に書かれた物語をいかにも物語らしくなぞって、
いかにもそれらしい気持ちを入れていかにもそれらしくセリフを喋れば
劇になると思っているのである。
当然、観客の目の前で
いま刻々と物語が、出来事が生起していくことにはならない。
つまり舞台の上では何も起こらない。
起こるにしてもすでに観る側がすでに知っていることしか起こらない。
結果、面白くないよねえと私たち観客は居眠りするしかなくなってくるのだ。
外側で刻々と出来事が生成していく。
それを体がキャッチするから人間の中に時間が生じる。
つまり生きていくことができる訳だが、
大半の舞台は何も起こらないから観る側は生きていけない。
つまり眠る=仮死するしかなくなる訳だ。
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この舞台はなぜ稀有な劇として成立するのか。
単純明快である。
四人の歌手+一人のピアニストが、
たとえどんなに小さな歌声、そして音であろうと、
全身全霊でもっていまそこで声を発し、音を発しているからである。
結果、声(音)を発する度に自分の身体内部が動いていく。
その動きを次の声の中に組み込みながら声を発していかざるをえない。
つまり、刻々と時間を生きながら演じていかなければならないからである。
観る側からすると必ずしもそれが見える訳でないが、
感じとることができるので、
物語の生成過程をいままさに眼前にすることができる
という仕掛けになっているのだ。
寺山修司風に言えば、
演技者たちはいま自分の中で起きている「偶然」を「必然」として
劇の中に組み入れながら演じている、劇を作っていく
ということになる。
実は私は転位・21の時代、
このオペラ劇と同じような演出方法をとっていた。
お客さんによく
転位の俳優さんたちはなぜあんなに体にチカラを入れているのですか、
なぜあんなに緊張しながら芝居をやっているのですか
と聞かれたものだが、理由は単純だった。
私はよく極度に小さな声でセリフを喋らせたが、
全身にチカラを入れると小さな声を全身で発することが割と容易に
できるからである。
言いかえるとウォルソンさんのように
小さな声を全身で発するのはそれほど難しいということだ。
そして俳優たちが緊張しているのは私が
舞台で起こる物音はどんなに小さな物音であろうとすべてキャッチしろ。
観客の呼吸する音でさえ。と私が指示していたからだ。
それも相当な緊張感、集中力を保っていないとキャッチしそこなうので
自然とああした緊張感として表れたのである。
もちろんそう要求したのは、
放っておくと俳優たちがすぐに気分で演技をしてしまうからである。
劇は「一回性」だ、ライブだということを思い知らせるには、
いま周りで起きてるいること、偶然をすべて必然として
劇の中に組み入れていくことで劇を生成させていくには。
とりあえずそう演出するしかなかった訳だ(笑)。
劇はたとえどんな劇であれ身体表現だから
言葉で説明するのはなかなか難しいのだが、
チョン・ウォルソンさんをはじめとする五人の劇表現は、
そうしたことを見事にやりとげていて私はいたく感激したのである。
物語自体はそう泣くような物語ではないのだが、
終幕近くのウォルソンさんとロベルト・ディ・カンディドさんの
激しいやりとりには涙すら覚えた。
あまにりにもその歌声と演技が素晴らしかったからである。
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(「ChonWolson-com」より拝借)
チョン・ウォルソンさん、
素晴らしい舞台をほんとうにありがとうございました。
帰ってから「海峡を越えた歌姫 田月仙(チョン・ウォルソン)」を聴き、
しばらくひとりで余韻に耽っていました。
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