赤旗・文化欄
歌で越えたい壁がある
美しい高麗山河      
わが国 わが愛よ

日本と朝鮮・韓国の歌曲を歌う在日二世のオペラ歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)さん。
『海峡のアリア』(小学館)は、朝鮮半島と日本に引き裂かれた一家に生まれた田さんの半生の手記です。
歌にすべてをこめて生きてきた田さんの思いは…。
神田晴雄記者

「母や、名も無く犠牲になった方々の無念を埋もれさせたくない、という強い思いで書き始めました」と語ります。
朝鮮から日本に動員されてきた父。祖父を訪ねて日本にきた母。民族差別と極貧のなかを生きぬいて戦後結ばれた両親の、二女として田さんは生まれました。
母には前夫との間に息子が4人いました。在日朝鮮人帰還事業で海峡を渡った異父兄。20年後、ようやく訪朝がかなった母は4人の消息をつかみます。「韓国のスパイ」容疑で 強制収容所に入れられ、二男は命を落としていたというものでした。
「母はどんなにつらかったか」
一方、異父兄と年の離れた田さんの青春も、荒波にもまれていました。
高校2年生のとき父の会社が倒産します。家族と離れ、たったひとりの受験勉強。
「夜逃げですからひどい状態でした。とにかく一生懸命やるしかないという気持ちでした」
3つの矛盾
朝鮮学校卒業生の受験資格を認めないという差別を乗り越え、日本の音楽大学に入学。卒業後はオペラ歌手の道をすすみ、徐々に舞台を踏むようになります。
85年には招待を受けて北朝鮮で歌を披露し、94年には韓国でオペラ「カルメン」に主演、どこでも絶賛の拍手を浴びます。しかし   。
「(日本・韓国・北朝鮮という)三つの矛盾にたいして筋を通したい、疑問や壁を越えたいという気持ちがずっとありました」
日本による植民地支配とその後の南北分断。北朝鮮による拉致事件。歴史を背負う在日コリアンとして自分が歌うべき歌は何なのか。
「日本と朝鮮半島との複雑で不幸な歴史のなかから生まれた歌たちや、私が生まれる前からの歌には当時の暮らしや善び、悲しみが込められている。そういう歌に慰められたり、何かを越えていく人々の姿がありました。私自身も歌に導かれるようにして新しい出会いがありました。禁止されても人々の心に残った歌は時を超えて生きつづけました」
そして出合った歌が「高麗山河わが愛」(日本語版「山河を越えて」)です。たまたまソウルの市場で手に入れた録音テープのなかに混ざっていました。
(南であれ北であれ いずこに住もうと
みな同じ 愛する兄弟ではないか………
美しい高麗山河 わが国 わが愛よ)
「だれも歌わない、韓国の無名の歌でした。素朴な歌詞ですが、分断によって国土だけでなく人々の心、ことばや歌さえ引き裂かれていった現実を見てきたので、同じ民族ではないかという詞が胸に迫りました。私の思い素直に伝えられる歌です」
母の夢から
月仙という美しい名前は、母が妊娠中に見た夢−満月の光が湖を照らすとそこに一輪の水仙が咲いていた−にちなんでいます。
「必ず善くからね」
2年前に亡くなった母に、執筆中、語りつづけたといいます。
いま、お母さんの無念は晴れたでしょうか。田さんは答えました。
「きっと喜んでくれていると思います」