共同通信

半世紀を刊行した在日の声楽家・田月仙さん
引き裂かれた家族 音楽通して考える

「音楽活動をしながらも、私の人生の経験を一度書きたいと思っていた。二年前に亡くなった母の痛みを埋もれさせたくないと、書き始めた。」
声楽家田月仙さんが、朝鮮半島と日本に引き裂かれた家族の物語「海峡のアリア」を小学館から刊行した。昨年の小学館ノンフィクション大賞に応募し、優秀賞を受賞。日本で、韓国で歌曲を歌い続ける半生に、母への思いを重ね合わせる。
田さんは在日二世として小学校から朝鮮学校に通い、章楽大から二期会オペラスタジオを経て、声楽家に。「学校では民族教育。でも外では日本の現実があって、その両方を生きていた。民族や国籍でなく、私自身が何者かを、音楽を通して考えたかった」
そのうち、母の秘めた悲しみに気づく。母は田さんの父と知り合う前に一度結婚し、四人の兄がいた。だが息子たちは一九五九年からの帰還事業で北朝鮮へ渡る。「父が違う兄たちに幼いころ会っただけで、ずっと忘れていた。母は時々、兄たちの写真をじっと見つめていた」と田さん。
母は八〇年、初めて北朝鮮を訪問し息子たちと三人と再会する。分かったのは、息子たち四人はスパイの嫌疑で長く強制収容所に入れられ、二男がそこで死亡したという衝撃の事実だった。
八五年、田さんに平壌での音楽祭に出演する依頼があり、故金日成主席の前でアリアを歌い、兄たちにも再会する。「ずっと祖国と聞かされてきた。でも、戦争がまだ続いているような緊張感が漂っていた。複雑な思いを封印して歌った」
田さんは九四年には韓国で「カルメン」の主役を演じ、その後、南北統一を願う韓国語の歌曲「高麗山河わが愛」を代表曲に、〝海峡を越えた歌姫″として韓国公演を重ねることになる。
そして一昨年、母が死去する。「私が最後に聞いた母の言葉は「悔しい」の一言だった。韓国と北朝鮮、そして日本の間に横たわる溝は、多くの人の心をも引き裂いてきた。そうした人たちの魂のために、私は歌い続けたい」

「音楽を通じて私も解き放たれたい。音楽には海峡を越える何かがあると思うんです」
と語る田月仙さん」