「海峡のアリア」 田月仙氏
朝鮮の音楽家の苦悩記す

 「私や家族の物語を、いつか書き残さなければとずっと思っていた」という。
朝鮮半島から日本に渡り苦労を重ねた父母。北朝鮮に帰国し、強制収容所に入れられた末に亡くなった兄たち。そして声楽家としてきた朝鮮と韓国の両方で舞台に立つというめれな運命を背負った自分。さらに南北分断のあおりで否定され、埋没した朝鮮半島の音楽家たち……半島と日本で巻き起こった争いに翻弄されたコリアンたちの人生をまとめた。
 オペラなどで活躍する歌の専門家であり、本を書いたのは初めてだ。2005年2月に亡くなった母が、枕元に自分の人生を語ったテープを残していた。さらに一ヶ月後、父が「これから本を一冊書く」と言い残して病に倒れた。二人の思いに背を押されて執筆に本腰を入れ、小学館ノンフィクション大賞の存在を知って応募した。優秀賞という結果を聞いたのは昨夏、シチリア島のホテルだった。聖母と二人の幼子が描かれた天井画に、母と兄を重ね合わせていた時で「涙が止まらなくなった」。
 在日コリアンたちの苦難や、北朝鮮の問題があぶり出される。しかしそれだけではない。「歌は単なる楽しみではなく、人々のいろいろな思いや人生の悲哀が込められた芸術だと伝えたかった」と語る。
 実際に、抑圧された人々の心が歌でつながっていく軌跡が描かれる。南北分断への思いを素朴な言葉で歌った「高麗山河わが愛」という曲のエピソードは典型的だ。米国在住のコリアンが作った歌のテープが偶然、韓国で著者の手に渡り、各地で歌って大反響を得る。すると全く知られていなかったその作者も見つかる。まさに「歌の持つ力を感じる瞬間を数多く持てた」人生だった。
 調査を続けている朝鮮半島の不運な音楽家のことなど、今後も「まだまだ書きたいことがある」という。

田月仙 1957年東京生まれ。桐朋学園大短期大学部芸術家および研究科卒。声楽家。二期会会員。