自宅のピアノの上に、一冊の本が置いてある。「海峡のアリア」。声楽家の田月仙(チョンウォルソン)さん(49)(東京都新宿区)が、家族の人生をつづった作品だ。
 「母の訴えを埋もれさせたくなかった」。彼女は静かに語る。
 1957年、東京・立川で生まれた。両親は朝鮮半島出身の在日1世。高校まで朝鮮学校で過ごし、音大を卒業後の83年に歌手デビューを果たした。
 2年後、当時の金日成主席の誕生日を祝う公演に、出演者の一人として招待された。悩んだ末に初めて訪れた北朝鮮。かつて崇拝の対象と教えられた主席は、既に「独裁者」のイメージしかなかったが、それでも招待に応じた大きな理由は兄たちに会うことだった。
 子供のころ、母が部屋の隅で古びた写真を見つめているのを何度か目にした。4人の若い男性が写っていた。それが兄だと明かされたのは高校生の時だ。
 59年に始まった帰還事業。「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮に多くの在日朝鮮人や日本人妻が渡った。兄たちも希望を抱いて船に乗った。田さんはまだ2歳だった。
 長らく音信が途絶えていた息子たちに会おうと、母が北朝鮮に渡ったのは80年。だが、そこで目にしたのは変わり果てた我が子の姿だった。4人は69年、いわれのないスパイ容疑で強制収容所に送られ、二男は翌年に亡くなった。3人は9年後に収容所から出たが、過酷な生活で体がむしばまれていた。
 帰還事業で北に渡った人の窮状について、日本に残った家族が語ることは少ない。しかし、母は帰国後、経営していた韓国料理店の客や知人に息子たちのことを語り始めた。
 そんな母の話を聞いていた田さんは、主席の前でうたった数日後に、兄たちと会った。ぽつりぽつりと暮らしぶりを話す姿に胸が締め付けられた。
 「すべての悲劇のもとは朝鮮半島の分断にある」。母はいつもそう語っていた。田さんも、いつしか朝鮮半島の統一を願う歌をうたうようになった。
 長男と三男はその後、亡くなったという知らせが届いた。四男は音信がない。母は一昨年2月、長い入院生活の末に病死した。この年の暮れに田さんはパソコンに向かい、兄や母の無念を詳細につづった。「事実を伝えたい」という一心で書き上げた本は、昨年の小学館ノンフィクション大賞優秀賞に選ばれた。
 〈兄たちが命に代えて私に残した真実を、決して忘れない〉。同書の文末にはこう記されている。(水野哲也)
 
 写真=田月仙さん