CD「日本/コリア歌曲集 夜明の歌 イムジン江」

 

◎…意外にも、これが初めてのアルバムです。

 過去にもお講はあったのですが、オーケストラをバックにした普通のオペラ・アリア集はもうたくさん出ていますし、アルバムを出す上での私の気持ちもまとまっていませんでした。

最も大きなきつかけは昨年、東京都とソウル市の友好都市提携十周年を記念する都の親善大使の役割が回って来たことですね。両方の国で、韓国の歌と日本の歌を原語で歌って欲しいという依頼が来たのです。

 

◎…親善大使を務めたことがきっかけですか?

 私自身は小さい頃から在日コリアンとして朝鮮名を名乗っていましたし、高枚も朝鮮高級学校だったのです。その後は音楽家になる夢を果たすために音楽大学に行こうとしたのですが、高級学校の卒業は大学入学資格にならなかった。

ようやく門戸を開いていた桐朋学園に進学して歌の勉強をすることができました。

 そんな体験があって、オペラ歌手になってから、デビューの時もですが、リサイタルで韓国や朝鮮の歌を積極的に取り上げるようにしてきました。

コリアの歌曲を世界に広めていこうとする気持ちが強かったのです。

その一方、覿善大使の時には日本の歌を向こうで披露することになった。

私には二つの国の文化の橋渡し役ができるんだ、と改めて感じたのです。

 日本と朝鮮半島の狭間で芸術家として生きてきたことが、アルバムという一つの形になったというところでしょうか。

日本の歌と韓国の歌はともに私にとっては魂の歌なのです。2002年のW杯サッカー日韓共催を控えて、両国の関係も新たな段階を迎えていますので、私にしかできないアルバムを今作りたいという気持ちが強かったのです。

 

◎…あの時のコンサートは戦後初めて、日本の歌を日本語で歌」うということで大きな話題になりました。

 

 ちょうどキム・デジユン(金大中)大統領の日本文化開放とタイミングが合ったこともあり、騒がれ過ぎの結果になってしまいました。あの時、両国の友好のために選んだ曲は「浜千鳥」、「赤とんぼ」などです。

 そして、「夜明けのうた」です。歌詞の内容からみてもあのイベントに最もふさわしいものだったのですが、最後までこの曲だけ許可が下りなかった。日本の新開で「夜明けの歌で夜明け」などと大きく報道されたことで、韓国政府が「まだ開放したわけではない」と神経質になってたんですね。

何度も説明したのですが、どうしても許可が下りなくて。

 

◎・・・韓国を初めて妨れたのは九四年、ソウルで「カルメン」に出演した時だそうですね? それから韓国での活動も広がりをみせています。

 そうなんです。ソウル定都六百年記念のオペラ「カルメン」の主役をオペラハウスで演じました。その後、韓国でも全く知られていなかった「高麗山河わが愛」という歌と私が出会い、それを歌ったことでより多くの人に知られるようになったのです。

 

◎…どんな歌ですか?

 半島の分断により、日本にいる私たち在日までもが辛い思いをしているということを言い尽くしている、とても意味のある歌です。米国で歯科医をしている作詞・作曲のノ・グァンウさんが、楽譜を送ってくれたのです。

それで、米国公演の時にノさんを訪ねていった。

そのことが、ドキュメンタリー番組の形で韓国で放送されました。

その反響が大きかったことで、九六年には大晦日の夜に行われる「韓国版紅白歌合戦」に日本から初めて出場して「高麗山河わが愛」を歌うことにもなりました。

日本から来たオペラ歌手が韓国への祖国愛を歌ったということで、それも評判になりました。

 

◎・・・選曲はどのような視点に立って?

 金剛山ツアーで禁じられている歌

 植民地時代に禁止された歌

 韓国でストップがかかった歌・・・

 ほとんどがワケがありですね

 

人気があって歌の背景に意味のある曲を選びました。

「懐かしい金剛山」は韓国ではとても人気があるのです。38度線の向こうにある金剛山に行きたいという歌ですが、南北分断後にできた歌ということで、金剛山ツアーの船の中では今でも歌うことが禁じられているのです。「イムジン江」は三十八度線を流れる川の名前ですが、水の流れは北と南を行き来しているのに、私たち人間は分断されて故郷にも行けない、自由に行き来することもままならないという切ない歌なのです。また、「鳳仙花」は、朝鮮民族の魂をあらわした歌ということで、ご存じのように日本の植民地時代に歌うことが禁じられていた歌です。

「夜明けのうた」は私自身が韓国で歌うことを禁じられました。

つまり、ほとんどが”わけあり”の曲(笑い)。

でも、どれもがすばらしい芸術作品なのです。

 

◎…有名な「アリラン」も取り上げていますが。

 アリランは朝鮮半島に二百種類以上あります。

地方ごとにそれぞれのアリランがある上、歌う人によっても全く違うアリランになるのです。「正調アリラン」は直訳すると「長いアリラン」ということになりますが、民間に伝わるものを譜面に起こし、民謡としての要素を残しながらもクラシックの発声を取り入れた独自の歌い方で歌っています。

 

◎…2000年を妃念した音楽劇「あの丘を適えて。」の上演も目前です。

 アルバムに収録した曲を土台にして、日本とコリアの歌で綴る音楽劇ということで、オペラファンと演劇ファンのどちらが見ても楽しめる内容にしようと考えています。現代演劇の「新宿梁山泊」の座長のキム・スジン(金盾進)さんたちとの共同制作で、私が音楽を担当しました。

ソウルで進められている景福宮の復元が題材ですが、韓国の「アリラン」と日本の「桜」が合唱で融合する形でフィナーレを迎えます。きつかけは、やはり「何かを越えたい」という私の意識によるものでしょうか。