光州で聴く「高麗山川・わが愛」 青柳優子

 「南北和解」熱い願い実感

 

 一九八七年六月の民主化抗争から十年、韓国ではいま、“北の同胞助け合い運動”が活発に展開されている。新聞社・大学・宗教界・女性団体などが中心になって“米と愛の分かち合い運動”“平和の米送り運動”など十をこえる民間団体が結成されており、“とうもろこし十万トンを送る汎(はん)民族運動”では約二十五億ウォン(約三億三千万円、一九九七年五月末現在)の募金が集まったという。

 何はさておき、悪化の一途をたどる北の食料事情の悲惨さが誰(だれ)の目にも明らかになり、市民の心を揺さぶっている。もっともこうした動きは昨年からみられ、政府の強力な統制を受けてきたが、最近大統領の息子や側近多数が逮捕されるなどして政府の統制力が弱まったおかげで、ようやく本格化してきたともいえる。

 私が住む光州では、一九八〇年の民主化運動を記念する五月十八日が今年から法定記念日に指定されたこともあり、救援運動に一層拍車がかかっている。その5・18前夜祭では十二年前の一九八五年には北の平壌で舞台に立ったソプラノ歌手の田月仙(チョン・ウォルソン)さんが在日僑胞(きょうほう)として初めて招かれ、三万余人の市民を前にして「高麗山川・わが愛」を熱唱した。ついで二十一日、彼女は光州文化芸術会館大ホールで催された<統一音楽会>で再び舞台に立ち、この運動に協力した。

 ところで、この公演は光州市民有志の文化財団が主催したもので、民衆歌手の第一人者であるチョン・テチュンとのジョイント・コンサートであった。当日の会場は三千五百人近い聴衆で満員になったが、客席の隣同士が挨拶(あいさつ)をかわす時間を取るなど、進行にも配慮がみられ、全体に和やかな雰囲気と親密感が漂っていた。

 まず第一部は、田月仙さんが「カルメン」から四曲、韓国の歌曲「鳥よ、鳥よ、青い鳥よ」、そして「イムジン江」「高麗山川・わが愛」を歌い、アンコールには「なつかしの金剛山」で応じた。第二部では八〇年代の大ヒット曲「去りゆく舟」でオープニングしたチョン・テチュンが「5・18」「九二年の梅雨、錘路にて」など五曲を歌って会場の熱気をさらに盛り上げた。つづく第三部は、二人が観客とともに七〇年代初頭からの愛唱歌「朝露」と「高麗山川・わが愛」を歌い、最後に「われらの望みは統一」を合唱してしめくくったのである。

 こうして絶頂に達したコンサートの余韻がさめやらぬ中、帰りのホールでは北の同胞を救援するとうもろこしパンが三千ウォン(約四百円)で販売され、とぶように売れていた。

 別室にはパン購入者のため、短いながらも出演者と同席する機会が設けられ、茶菓子まで準備されていた。そこに集まった人々は、「田月仙さんの歌は初めてですが、素晴らしかったです。歌のとおり、暮らしの場は違っても、心は通じると思いました」と、異口同音に語っていた。中でも、「息子はまだ小学校の一年生なので、飢えの恐(こわ)さや音楽祭の意義とかははっきりとわからないと思います。でも、こんなふうに大勢の市民が集まって歌を聴いたり歌ったり、パンを買ったりしている様子をみながら、北の子供たちのことを気づかう人々の思いを感じることができたのでは……」と語る、子供連れの主婦の姿が印象的だった。

 南であろうと、北であろうと/どこで暮らそうと/皆同じ仲睦(むつま)じい兄弟で

はないか 東であろうと、西であろうと/どこで暮らそうと/皆同じ懐かしい姉妹ではないか……

 会場で覚えた「高麗山川・わが愛」を口ずさみながらの帰り道、時代の変化、すなわち内戦・対立の時代を終わらせ、和解・共生の時代を切り開こうとする市民の熱い願いと力を実感した一夜であった。

(朝鮮大学日本語科教員、韓国・光州市在住)