田月仙さん 南と北での公演を実現した 在日二世のプリマドンナ

 

 とうに”もはや戦後ではない”日本で生まれ、高度成長期に思春期を過ごした1人の韓国人女性が今年、自分なりに「戦後」のけじめをつけ、新たな一歩を踏み出した。

 オペラ歌手、田月仙さん(36)。5月に開いたリサイタルでコリア歌曲「高麗山河わが愛」を歌い終えると、客席から一斉に大きな拍手が起こった。在日韓国・朝鮮人、日本人など1200人ではぼ満席。「南でも北でもいずこに住もうと、皆同じ愛する兄弟ではないか。・・・懐かしい姉妹ではないか」。祖国統一への思いを込めた熱唱は、南北公演を実現したただ1人の在日コリアンとしてのメッセージでもあった。

1985年、朝鮮主主義人民共和国(北朝鮮)・平壌での世界音楽祭に招かれた。故金日成首席の前でも歌い腕時計を贈られる栄誉に浴した。

「祖国の人たちが聴いている、という心の高ぶりのようなものがありました。その時から、芸術家としてのやり方で自分の国は一つなんだと確認したくなったんです。本国では行き来できないけれど、在日なら可能ですから」

 韓国・ソウルにあるアジア最大のオペラハウスで「カルメン」を演じたのはその9年後、昨秋のことだ。定都600年を記念した行事だった。

「素晴らしいオペラハウスを同じ民族として誇りに思いました。同時に、在日として舞台で頑張らなくては、という責任感もありました」

 両親は在日一世。田さんは高校まで民族学校で教育を受け、チョゴリを着ての通学は当然のように民族の自覚を体の奥深くに植えつけていった。

 3歳からピアノを習い、大学でも音楽をと思っていた高2の時、父の経営する会社が倒産した。レストランで弾き語りのアルバイトをしながら入試に備える毎日。浪人する余裕などなかった。古文や漢文など学校で習ったことのない受験科目は独学だった。

 だが受験資格がない、と第一志望の大学は門前払い。この時が一番辛かったという。幸い名門の桐朋学園が受験を認めてくれた。そこで声楽の才能を見いだされオペラの世界へと進む。

 2年前、国務を朝鮮から韓国に変えた。

活動の幅を広げようにも朝鮮席では海外渡航もままならなかった。

だがそれを”転向”と見る人たちもいる。

「歴史を勉強すれば国が分断されるのがどういうことか分かると思いますが、離散家族のことだけではなくて、ちょっとした問題でも北か南か、となることもあるんですよ。まず芸術の世界で壁がないのを当たり前にしないと。在日の人の心の壁から壊していかないといつになっても対立が残るだけです」

 北に帰った親類もあれば南には父方の墓もある。共に祖国。そして故郷は日本。いずれはヨーロッパでも歌っていきたいという。