田月仙さんが東京公演を前に吐露した在日としてのニッポンへの愛着

 

  5月12日に田月仙さんのオペラリサイタルが東京で開かれる。

 オペラ歌手の田さんは、85年に北朝群(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌で開かれた世界音楽祭に出席し、金目成主席(当時)の前でオペラのアリアや朝鮮歌曲を歌った。また94年には韓国・ソウルのオペラハウスで歌劇「カルメン」の主役として舞台に立っている。すなわち、北と南の両国で熱唱を披露した経験を持っているのだ。

 

 今回の東京でのオペラリサイタルも、日韓協会と日朝協会東京連合会がともに後援する珍しいリサイタルとなる。

 

「私は在日として北へも南へも行った初めての歌手。そして今年は戦後50年。われわれ朝鮮・韓国民族は解放50年とか分断帥年といいますが、その間、日本で在日1世の人たちはいろんな差別や苦労を味わいながらもパチンコ屋や焼き肉レストランなどを経営し、生活の土台を作り、私たち2世や3世を育ててきました。

 その在日の人たちの間でも以前は北と南の分断があったが、いまは世界情勢も変わり、とくに2世や3世の若い人たちの間では、海峡の向こうの祖国より日本が故郷という気持ちが強くなってきているのです」

 

 こう語る田さんは1958年東京生まれ。

両親は慶尚南道出身で戦前に来日。

田さんは朝鮮総聯系の民族学校を経て、桐朋学園大学芸術科音楽学部を卒業。93年1月には韓国籍を取得している。

 日本で生まれ育って、北と南のかけ橋として歌う”新韓国人”の田さんの目にいま「日本」はどんなうに映っているのだろうか。

「さまざまな場で自分の能力を発揮できる人たちも増えてきたし、在日2世は民族として生きるよりも個人として生きるという傾向がかなり強くなってきた。

もう民族云々ではなくて自分の生き方だ、と。

それが在日の若い人たちの新しい生き方なんじゃないかな。

 いままでは常に1世の両親たちが背負ってきた過去とか祖国”が頭の中にあったけど、最近は日本を冷静に見られるようになってきた。もちろん、いまでもやはり日本の戦争責任を許せないと思っている人たちはいっぱいいる。

でも、その一方で、新しい日本に対する愛着というか、ここが自分が生まれて生きてきた土地なんだ、とい