朝日新聞 満月の夜に咲く水仙の花 田月仙
しかし披女の第一声を耳にし、わたしたちは愕然とした。彼女は四〜五人で満員になるようなその酒場で、まるで二千〜三千人を収容する大ホールで歌うかのごとき声を張りあけ歌いはじめたのだ。鼓膜を聾せんばかりのけたたましい絶叫。全員驚愕、最初の感謝まなざしは消え、非難のトゲある視線がわたしたちの全身に突きささった。わたはうろたえ、披女の碗を突っつき嘆願したものだ。 「もう少し、小さな声で歌うわけにいきませんか」この申し出をきき、彼女は世にも寄妙なことをいう人間がいるものだ、といった憐憫の表情を浮かべた. この話を田月仙さんにすると、「クラシックの歌手にとつては、それが唱法の定型なんです.咽喉の使い方、姿勢、発声は最初からそのように訓練されている。それ以外だと歌えないのです」 相手がカラスやステファーノといった不世出の天才歌手に出会っても、たわむれに歌は所望すべきではないとそれ以後肝に銘じていたわたしも、田さんには安心して歌を所望したのである。そして彼女は、小さな酒場にふさわしい”音量”で歌ってくれたのだった。 これは普通の歌手と違うなとの直感は当たった。 彼女は桐朋学園大学短期大学部音楽研究料を卒業、現在、二期会で精進する気鋭のオペラ歌手だが、単にイタリアの歌曲を歌うだけではなく、スペインの歌曲もブロードウェー・ミュージックのナンバー日本の歌曲もレパートリーに持つ。それのみかジャズダンやタップダンス、モダンダンスもこなすなど幅広いエンタティナーぷりをみせる。昨年の秋のコンサートで彼女がミュージカル 『マイ・フェア・レディー』『ポギ・アンド・ベス』『ウエストサイド物語』からのナンバーを歌いながら踊ったときは、〈歌曲の夕べ〉聴きなれたファンもさすがに目をまるくし、ついでやんやの拍手を送ったものだ。 しかし、何といっても他の迫随を許さぬ田さんのユニークさは、朝鮮・韓国の歌曲の歌い手ということであろう。演歌を源流をもとめて李成愛が韓国の演歌を歌った例はあったが、朝鮮・韓国歌曲がオペラのアリアと同じレベルで紹介されたのは彼女のリサイタルをもつて嚆矢するのではあるまいか。『アリラン』や『トラジ』をだみ声で聴くのみであった耳に、それらの歌曲はたとえようもなく美しく響いたのであった。 「大学の卒業試験には、朝鮮の古い歌曲を歌ったのですが、桐朋の先生もぴっくりしていました。芸術としての香り高さにおいて、ドイツのリ−ドやイタリアの古典カンツォーネのそれに十分、比肩するというのです。言葉の問題もあって、まだこの美しさは人々には発見されていません。朝鮮や韓国でもレコードがまったくといっていい〈らいでていない。譜面を相手に自己流で格闘する以外ないんです」 田さんは在日朝鮮人二世として、東京で生まれた。両親の故郷は慶尚南道の普洲。月仙という名は、母親の甲仙さんが、披女を身ごもつたとき、美しい満月と水仙の花の夢を見たところから名づけられたという。 朝鮮語も日本語もペラペラである。だが、一度も朝鮮・韓国には行ったことがない。 「私が祖国というときは、北も南も一緒です。私の歌が統一に少しでも役に立ったならなあと思います。そんな祈願をこめて目下、「春香伝」のオペラ化を考えてるんです」 九月のソプラノ・リサイタルのプログラムはモーツァルトやヴエルディ、プッチーニのオペラかで正確である。アンコールでは朝鮮歌曲『鳳仙花』を原語で歌った。 「まがきのかげの鳳仙花、佇むおまえがいじらしい・・・・・・といった歌詞なんです。鳳仙花は秋風が吹くとともにしおれていく紅の花で、祖国の人々が最も親しんでいる佗なんです。作詞・作曲の洪蘭坡は、太平洋戦争の始まる直前に夭逝したとききます。あの暗い時代、学生たちがひそやかに口ずさんだ哀歌のひとつなんですね」 歌詞はわからなくとも、しみじみとした哀調にこめられた抵抗の魂は聴衆の胸に惻々伝わったようだ。 十二月には。朝鮮・韓国歌曲だけのリサイタルを行う。『トンベク花』『イムジン江』『金冠のイエス』といった歌が選ばれている。選曲にはマネジャーの池田信雄氏の意見も加わる。氏は「ノヴァーリ全集』の翻訳もある東京大学助教授・独文学者だが、田さんのファンとかで、マネジャー役を買ってでたそうだ。 「マリア・カラスが目標です。それにステファーノが大好き.歌曲で生活していくのは大変なのですが、生漉この道む好いていくつもり」 今のところ、歌が恋人で、とても結婚のことまでは、と初めで頬を紅潮させた. |