2国のはざま、オペラに 日韓 オペラ歌手の田月仙さん
 オペラ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さんは在日コリアン2世。両親は現在の韓国生まれで、父は15歳の時に学徒勤労動員で日本へ渡った。田さんは音大を目指したが、朝鮮学校卒で受験資格が得られず、唯一門戸を開いた桐朋学園短大に入学し、声楽を専攻。プロの道に進んだ。
 1994年に初めて韓国で公演した際には、過去に朝鮮籍から韓国籍に変えていたことから「転向歌手」と報道された。「在日という存在が理解されていなかった」と振り返る。
 日本の皇族出身で朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ)の生涯を描いた作品の構想を始めたのは、芸歴20年を過ぎたころだった。方子は日韓併合後、李垠(イウン)皇太子と政略結婚。終戦で身分も国籍も失ったが、障害者福祉に尽力し、「韓国の母」と慕われた人物だ。二つの国のはざまで時代に翻弄(ほんろう)されたその足跡に、自分や両親の姿が重なるように思えた。
 田さんは「皇族として生まれ、朝鮮王朝に嫁いだ方子は、その立場から胸の内を自由に語ることができなかった。でもその生涯をオペラにして伝えられれば、方子の思いをおのおのが想像し、何かを感じてくれるのではないか」と考えた。ただ、そのためには史実を忠実に再現する必要があった。
 日本と韓国を行き来しながら方子と生前に関わりのあった人たちを訪ね歩き、2年近くかけて約100人に取材。オペラ「ザ・ラストクイーン」が完成したのは、くしくも日韓国交正常化50年の2015年だった。19年までに東京と大阪で三つの公演を果たした。
 そんな矢先、コロナ禍が世界を襲った。約1年間、本格的な公演はできていない。欧州や韓国など世界各国で舞台に立ち続けてきた田さん。マイクを使わず、劇場と一体になって表現する技術を磨き続けてきた田さんにとって、劇場で生の声を観客に届けられないことは手足をもがれるような酷なことだった。
 隣国との行き来が自由にできなくなり、あらためて方子の生涯を思った。「隣国との交流をいま一度、両国の人たちと一緒に考えたい。互いを思う心の灯が絶えないように」。こんな今こそ、あのオペラを。そう考えた。
 今年の公演は10月28日。感染対策のため劇場を満席にすることはかなわないが、舞台に立って生の声を届けることを選んだ。方子の15歳から87歳までの激動の生涯を約90分間、一幕で演じきる。(大部俊哉)