2004年 10月2日(土)

チョンウォルソン(田月仙)

二十周年記念リサイタル < 追加公演 >

反響多数につきリサイタルの追加公演が行われました!

2004年7月 NHK ETV特集で 放映された「海峡を越えた歌姫」は 日本と朝鮮半島の狭間で翻弄されながらも20年間歌い続けてきたチョンウォルソンの半生がその歌と共に紹介され、大きな反響を呼んだ。 東京生まれ。1983年 東京での連続リサイタルで楽壇にデビュー。その後世界各国にてオペラやコンサートに出演。1994年ソウル定都600年記念オペラ「カルメン」主役で初めての南北コリア公演を実現。1996年アメリカ公演は歌曲「高麗山河わが愛」と共に日韓のテレビで全国放映。1997年芸術祭参加「リサイタル薔薇物語」。1998年「東京都・ソウル市友好都市10周年記念行事」で親善大使としてソウルで初めて日本語の歌を歌う。2002年ワールドカップ記念日韓ガラコンサート「海を越えて」。オペラ「春香伝」日韓両国主演。小泉内閣総理大臣主催・金大中大統領歓迎公演独唱。サッカー日韓親善試合韓国国歌斉唱。KBS「開かれた音楽会」「日曜スペシャル」、MBC「成功時代」、TBS「筑紫哲也ニュース23 田月仙LIVE」など日韓のテレビ番組にも数多く出演。2004年20周年記念リサイタルは絶賛を博す。 二期会会員。

全身の神経があわだつようでした。存在をさらし、存在を賭けて歌われる歌。みなぎる濃密な情念。チョン・ウォルソンは、歌を通して、全身の表現を通して、外界に投げ出された魂と対話し、その対話を通して、ひとつのモチーフ──それは祈りといってよい──を伝達する。それは、私の言葉で言えば、私たちが見失いがちな真実の愛、自分を素直に生きる魂の遍歴と深遠、そして祈りです。

●大変感動しました。 ウォルソンさんの誠実で素直な生き方、何にも屈しない生き方、そして何にも増して 素晴らしい歌声に感動しました。生きた歌を聴いた感じがしました。

 

当日は廬光郁(ノ・ガンウ)氏の挨拶もありました

 

田月仙 二十周年記念リサイタル < 追加公演 >

日時 2004年 10月2日(土)夕方6時開演 

 

曲目 ふたりの海・花の涙・正調アリラン・恨五百年

    故郷の春・イムジン江・高麗山河わが愛

    ビゼー作曲オペラ「カルメン」より ほか

高麗山河わが愛の作者 廬光郁(ノ・ガンウ)氏 来日!

南であれ北であれ いずこに住もうと 皆同じ愛する 兄弟ではないか、、、 この素朴な歌詞ではじまる名曲「高麗山河わが愛」は チョン・ウォルソンが初めて38度線の両側で舞台を踏んだ直後から歌いはじめた。北も南も同じ祖国だと実感したが分断の現実も再確認したウォルソンはソウルで「高麗山河わが愛」と出会い、日本に帰国後、様々な場所で歌い続けた。この歌を聴いた多くの在日コリアンが分断され会うことができない家族のことを思い涙ぐんだ。しかし歌の作者はわからなかった。 1996年 ウォルソンはロスのオーケストラに招待された。偶然にも指揮者は「高麗山河わが愛」の作者を知っていた。 作者は在米コリアンの ノ・グァンウク(盧光郁)。1918年に南浦で生まれ、ソウルで育った。植民地時代は音楽家として活動したが朝鮮戦争終結の年、南北の諍いを逃れるように渡米。歯科医となった。しかし頭の中には朝鮮半島しかなくある日「高麗山河わが愛」を一息で書き上げた。彼の歴史も朝鮮半島の分断の歴史そのものだった…。 田月仙は盧光郁に会うためにワシントンへ飛んだ。 在日の歌手と在米の作者。祖国を離れた経過は異なるが、その歴史的差異を乗り越えて2人は出会った。歌だけが年をとらないで若々しいまま生き残ったのだった…。

 


Chon Wolson officilal Website www.wolson.com