韓国を代表する詩人 金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 五賊
パンソリ(唱劇) 字幕スーパー付 |
詩をかくからにゃ、 こせこせ書かず、まこと このように書くべきじゃ。 渋谷仙太郎訳 「五賊」冒頭より |
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1998年12月6日(日) 午後6時開演 イイノホール(東京日比谷)
◇第1部:「五賊」 詩人 金芝河 ◇第2部:金芝河作詞 による歌と劇「われわれはどこに行くのか」 歌 田月仙 |
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主催>
○金芝河「五賊」・東京実行委員会 |
<協力> ○川崎実行委員会 裴重度(川崎市ふれあい館館長)、板橋洋一(川崎地方自治研究センター)ほか ○大阪実行委員会 金丙鎮(韓日市民文化交流協議会ナヌンセ)ほか |
いがらっぽい声で「ガラッ」と、屋台の中から呼んできた。
ああ、この声か、「五賊」の冒頭に響く、いきなり横っ面を張られたような、それでいて胸にしみこむ語り口は……と1972年冬の、明洞小路に立っていた時、金芝河は、屋台へ手招き、二つの劇団の役者交換は、誰にしようかと案じた。が案じるまでもなく、金芝河の芝居には僕、僕の芝居には金芝河がトビイリすることは誰もが分っていた。戒厳令下のソウル、あの時の彼が、今来る。
唐十郎
金芝河(キム・ジハ)の名前を一躍世界に広めたのは1970年に発表された譚詩「五賊(ごぞく)」です。 当時の権力層の不正・腐敗を痛烈に風刺したこの「五賊」を発表後、金芝河は逮捕・投獄されます。しかし韓国朝鮮民族の伝統パンソリを創造的・天才的に継承発展させた「五賊」は全世界20以上の言語に翻訳され、大衆の中に爆発的な力をもって拡大されてゆき、弾圧の中からついに完全な復権を果たします。
「五賊」が発表されてから約30年の月日を経て、金芝河の初来日が実現し、初めて東京で伝説のパンソリ「五賊」がその姿を表わします。パンソリの唱い手には、1970年代から金芝河作品を唄い続けてきた韓国マダン劇の旗手、林賑澤(イム・ジンテク)、鼓手に韓国国立唱劇団の張宗民(チャン・ジョンミン)をはじめ、この公演のためのベストメンバーを招聘いたしました。
また日本側からはオペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)、金守珍(キム・スジン)率いる新宿梁山泊ほか強力な出演陣によって、金芝河作詞による歌「金冠のイエス」「緑豆花」「灼けつく喉の渇きに」などを含むオリジナル音楽劇「われわれはどこに行くのか」(仮題)を披露いたします。
譚詩「五賊」は、1970年初頭の韓国社会の支配階層を、乙巳保護条約時に国を売った五賊に比喩し、不正腐敗した権力層の実像を告発、風刺している。 財閥・国会議員・高級公務員・将星・長次官 (財閥・国会議員・高級公務員・将星・長次官) という名の獣の姿をした五人の盗賊達が、ソウルの真ん中の盗人の巣窟で、不正腐敗の競演を繰り広げ、豪華奢侈、放蕩な生活にひたっている…。詩人は時の権力者たちの堕落した実像を、痛烈な風刺によってさらけだす。だが、ある晴れた日の朝、五賊の群は突如雷にうたれて、六孔から血を吹き出して倒れてしまう。悲劇的終焉というより、むしろ痛快な結末に、詩人の高らかな笑い声さえきこえてくるようである。
金芝河の長詩「五賊」が、ある日、突然われわれに与えた衝撃は、迷宮の観念の中で悶死する運命にあったわれわれの自我を現代のもっとも強靱な精神へと高揚させた。詠嘆から憤怒へ、涙から民衆の肉体に流れている血の言葉へわれわれを引きずり込んでいく。身におぼえのある権力の犬どもは、この途方もない死を賭した詩人に反逆罪という罪状を総動員して、いちはやく牢獄につないだ。彼らは金芝河を民衆の目から、耳から、口から隔絶することが急務だったのである。だが、この間抜けな犬どもは、金芝河の詩法に対する無理解から彼を流言輩語の張本人に仕立てあげた。そして皮肉にも、彼らの見解は正しかった。なぜならば真にすぐれた詩は本質において流言輩語だからである。無知で狡猾な犬どもは、一人の無力な詩人を拘束し、その存在理由を剥奪してしまえば、すべては解決するものと考えたのだ。厚い壁の中に閉じ込めてしまえば…。だが彼の詩は、あたかも黒死病のごとく世界の隅々へ蔓延していった。彼らの想像をはるかに越えて、とてつもないイマージュを媒体しつつ増幅していくのだ。言葉の透視術によって世界がわれわれの内面で力学的な変貌を遂げたのである。金芝河の詩は言葉の肉性の中で無限に復活するのだ。
Chon Wolson officilal Website www.wolson.com